高台寺夜咄茶会

ねね、北政所ゆかりの高台寺能楽サークルOB同期3人が茶会に参加した。かなりの久しぶりだが、お互いの見かけはともかく会話の間合いは当時のままだった。四十年の空白はない。1人が京都に引っ越したとのメールで盛り上がりこの企画となった。横浜の私はついでに妻の実家に届け物をしと、松阪経由で一日早く京都入りした。普通なら名古屋から近鉄特急だが、このときは路線検索して二両編成のJR急行'伊勢’にした。二時間の訪問のあと、松阪からは大和八木駅乗り換えで京都に。都おどりを観て以来三十年ぶりのご無沙汰で、他にも時間をとっておきたかったからである。お寺巡りとは違う京都、時代劇ファンなら一度は行ってみたい太秦である。見学コースの一つに、俳優さんの案内でセットの工夫や裏話を交えて映画村を案内してくれるのがあった。その日の案内は安土桃山時代の遊女すがたの女優さんで、同じ町屋が御店(おたな)から遊郭に、ちょっとの工夫で変身できると、女優っぽい身のこなしでかわいらしく説明してくれた。それからは時代劇をみるとあのセットにどのような手を加えたかと探ってみる楽しみが増えた。聴衆約20名の一行に中に一風変わった感じの白髪

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オジサンがいると目についたのか、女優さんからの甘い視線を感じながら、初めて見たなまの時代劇セットにお値段以上の満足。立ち続けの20分も疲れはなかった。心残りは、質問の一つもして置けばといつもながらの後悔である。京都でも特に込み合う祇園四条の歩道で小雨の中3人は集合した。ねねの高台院としてのお住まいは、いわゆる高台寺ではなくて、ねねの道を挟んで反対側にある圓徳院なのだと、うんちくを聞きつつ八坂の塔方向に歩く間に雨もあがっていた。予約済みの高台寺夜咄茶会チケットを購入した後、和服が多い一団に交じって、広めの茶室で掛物茶器などの披露のあとお抹茶を二服いただいた。

足の痺れが残ったまま、秀吉と北政所の木像を安置している霊屋(おたまや)他、雨上がりの夕闇、静まり返った境内に案内された。そこは山の斜面にあり、中腹にある臥龍池は透明度が高く、ライトアップで池底の砂、魚と藻、黒い枯れ木、水面には周りの木々が映し出される。2月の寒さに負けない美しさに、胃袋にあった抹茶の違和感も消えていた。茶懐石のあと、京都に住んですぐ馴染みになったというレストランを紹介され、食後だと言い訳して頼んだ小さいつまみでワインを味わった。方向音痴の私は、八坂の塔が見えなくなったのにジャイロコンパスのように正確に方位をとらえる仲間を頼もしく思いつつ花見小路へ、置屋を改装した和風Barに立ち寄った。格子戸をくぐったところで日本髪の二人に。このあと、大阪住まいの1人を先に帰して、先斗町のジャズBarに。東京ならまず入らないような店構えであったが、観光地京都の安心感で細い階段を上った。常連客風でプロらしい人がピアノを弾き始めたのには驚いた。調子に乗ってチップを所定のグラスに入れたりして非日常の一日、終わってみればアッという間だった。

謡と仕舞のお稽古は、日常の中で気を引き締めてくれるが、たまの旅行の非日常体験は日ごろ溜まったストレスを一機に吹っ飛ばしてくれる。

(天井と壁が同じ素材の和室)