無理と無茶

無理はしますが無茶はしません。というセリフを理解できますか。なんとなく危険度が一段階下がって、安心感が少し増すように思ってしまう。辞書によると違いはあるように思えるが、人に説明できるかと言われるとそこまで自信はない。一流のアスリートやアーティストはゾーンの境地で極限に挑戦するといわれている。素人の自分にどこまでできるのか、現実の生活のシーンで何ができるか、どこまですべきか。残りの人生をいかに生きるかを考える年齢になり、体力の衰える中、どこが無理でどこまでが無茶なのか、迷うところである。東日本大震災の一年後、会社が募った団体ボランティアに参加した。直後ではなかったものの、目の当たりにする光景は津波の威力と分かっていてもにわかに理解できないものであった。6人ひとグループで4泊5日、湯治場を兼ねた宿を拠点にして自給生活。東京駅の集合で自分以外は体育会系の中でもラガー然とした二十代マッチョばかり。年寄りの冷や水かとの無言の視線を感じた。作業は経験のあるリーダーが休憩と水分補給を厳格にコントロールしていて、さほどのきつさはなかった。スコップや一輪車の扱いは若者よりコツをこころえていた。高温多湿で最悪の6月に、円管服に鉄の底じきの入った長靴、帽子にゴーグル、マスクのいでたち。津波で流れ込んだ土砂から瓦礫と遺品を仕分ける。肘膝をつくことも多いので、手と足の関節用にサポーター、スポーツ用のアンダーに雑魚寝用の室内着、事前準備は年のハンディーを埋められるように万全をきした。かなわなかったのは、食事の量と速さである。昼食は津波被害をまぬかれた現場近くの食堂ですませるが、若者のペースに合わせるのが一番きつかった。申し込み時点での判断としては、無茶なことをと人には思われたようだった。とにかく何かしなくてはと思っていたところ、募集があったので深く考えずに飛び込んだのだ。そこの温泉、最初は熱くて数秒程度しか浸かってられなかったが慣れは怖い。湯上りの麦酒と夕飯。自炊は単身の経験があるので苦にはならないが、奉行役もいて、流石体育会系、年長者には手伝わせてくれない。何よりもうれしかったのは、若者たちと集団行動ができたことだ。会社ではなかなか経験できない。飛び込んでみて得られた貴重な経験、結果オーライだった。無茶な決断で無理をした産物、思わぬご褒美かもしれない。

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(上:すっかり色が変わっていたのを、頑張って磨きました。下:二十年以上我が家を潤してくれています。)