打上で宴会

発表会の後は宴会。恒例なのですが、先日のは特別で、ふとした瞬間に目の前にあんなに沢山あった鳥鍋の具がなくなっていたのです。長方形のテーブルに、仲居さん用語の ’やっこ’ にならべてあって、3人分と4人分の鍋。その三人様に位置して向かい側に二十代の食べ盛り二人。それにしてもなぜ時間が飛んでしまったのか。居眠りしていたなら、何とシェイムなことか。記憶だけが飛んでいるなら、社会的ダメジはない。ただ、内心としてはショックはショックに違いない。確かにその日は普通の非日常ではなかった。素人には高度な演目を無事舞い終えたこともあり、酒の回りがいつもより早くなってしまっていた。

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(上:社宅を卒業する記念に、家族四人で和紙をちぎって製作。下:この中に長男がいます。)
その空白以外ははっきり覚えているから不思議なのだ。好きでやっている発表会で緊張するのも楽しみのうち。緊張はよいが舞い上がってしまってはいけません。ミスにつながり後味がわるく尾をひく。本番に臨むためのマインドコントロールが必要。今回は息子たちの名前を唱えてお願いする手法にした。子に対する親のコミットは絶対であり、これまで、二度、披露宴最後恒例新郎の父あいさつ。定年退職前の最後のチャンスにゴルフコンペで優勝したのもこの手法だった。演目の出来栄えはまずまずよかったらしく流友たちの大げさなコメントも100%リップサービスではないようであった。たださすが師匠はちょっぴり辛口だった。DVDが届いたらじっくりダメ出ししてみよう。そこそこだったら、プロモーションビデオとして人に見せるのに使える。子供へのコミットに関連して、さる監査役がおっしゃったこと。自分のとった行動、判断の評価基準はそのことを子供に話せるか。話せないようなことはしてはいけない。人間の原点をおさえた名言かと。難しいことに挑戦していると、時として頭が真っ白になる。余計な思いが沸き上がってキャパオーバーでショートする。そこで子供の力、子供の名前を唱えてみては。きっと解決が早い。単純なところに答えはある。