違法と不法

ドラマ化された東京裁判を観た。この裁判は、法的根拠なしに戦勝国が敗戦国の個人を一方的に裁く正当性を示すセレモニーとして行われたという。戦争を個人の罪として裁けるのか。裁くべきなのか。確かに再発を防止するためには個人の責任を問うことに効果があるように思える。個人の罪を問わなければ、組織や国家の名のもとに個人が安易に罪を犯す恐れがある。法学者の方々の憲法解釈をいとも簡単に無視し捻じ曲げた政権の中枢人物の罪はどうなるのか。個人が辞任や一時的に社会的制裁を受けるに過ぎないならば恐ろしいことを安易に考える。もう一つ。忖度した方が罪に問われ、忖度させた側は罪には問われない。これで良いのか。理不尽を正す活動をするNPOがあると聞いたことがある。ではなぜ理不尽がまかり通るのか。忖度と口利きは社会通念にてらして不法行為かどうか微妙であるが、その範疇よりさらに外側にでも許せないこと。そんなところの穴埋めを担うのが、必殺仕事人、怨み屋本舗なるドラマの主人公たちである。ドラマとしてみる分においても完全に痛快とは割り切れないものの、気持ちに一定の収まりがつく。でもやはり現実の世界でも理不尽を正す方法を知りたい。こんな一歩が広がればよいと思う。

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(レモン型にならない前に土に落ちてしまった、今年の第一号レモン。

もったいなくって台所で飾っています。あきらめの悪い男ですから。)