初代室長としての矜持

ニューヨーク勤務最後の一年はエンロン事件が巷を震撼させていた。コンプライアンスやオーディットという単語が突如降ってきたかのように頻繁に耳に入ってきた。そして本社に帰還して一年、内部監査室を立ち上げ、4年間で一部上場会社として体面を保てる時流にのった内部監査体制を構築した。人事は子会社に行ってから経験して分かったのだが、限られた人材をどう配置するか、悩みながらもうまく収めなければならない。自分が移動した後、後任の室長の上には何人もの上司が塞がり、社長との距離がはるか遠くになっている。さらには室長経験者としての矜持はないのかと言えるような不祥事までが聞こえてくる。形さえ整えば良いのか、会社の品格が問われかねない。限られた人的資源の中で会社は自分を旨く使っただけか。その割には軽んじられている?いや、そも会社とはそういうものなのだ。それでも自分としては、振り返ると入社前には想像すらしなかった幸せな会社人生だったと思う。ロンドンやニューヨーク勤務もさせてもらった。役職定年で本社に残れず片道切符で子会社に出た直後は悔しくなさけない思いをしたが。以前そのことでしょぼくれてしまった先輩を見た時に、子会社で頑張ればいいのにと思ったが、それを自分が実践するときが来たのだとスイッチを入れた。頑張りのご褒美かどうか、銀座のカラオケバーでブリちゃんって名前をもらったり、産業別春闘の交渉委員長も経験させてもらった。60過ぎた地味なサラリーマンが舞台でスポットライトを浴びて緊張したが、有難かった、うれしかった。運命の神、パパ大明神のお陰。そしていよいよこの先残るは significannt others との出会いだけとなった。さて、終活の女神は微笑むか、いや大明神の降臨。しょぼくれず頑張るしかないのではないか。さすればおのずと。内部監査経験者としての矜持をしっかりとし、せこいことはせず、人に指さされず、簡単にいうと子供にも話せるまっとうな道を歩くのが基本かと。こんな自分、実に真面目臭いと思う。プッ。

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(それぞれが懐かしい思い出。この黒い土台は脚立。これを椅子にしてブログを書いています。)