自死と自殺

自死という言葉を聞いたのはごく最近である。世間ではいつごろから使い始めていたのだろうか。病気の呼び名も社会の変化に合わせて変わってきた。言葉は対象物をリアルにしかも社会に受け入れられるものがその時代を生きる。世界情勢が混乱してきている昨今、テレビ番組で’内在的論理’ということばを聞いた。なるほど、とその時は刺さった。とはいえ、当たり前のことじゃないかという人もいる。で、どうなるのと追っていくと急にその名言が薄っぺらく感じてくる。同じ意味を何れもっと刺さる言葉で発する人が注目されるのだとろう。当たり前のことが当たり前にできないのが人間のサガ。そんなことを思いめぐらしながら妻の遺影に備え供える庭木の花を一枝。屋内に持ち込んでサッシを閉めたら、小さなアリさんが一匹くっついていた。外に逃がしてやろうとソフトにつかもうとしたら床に。そしてサッシの溝に。露結対策か穴が開いていて、そっから庭に戻ってくれた。殺生をしなくて安堵安堵。頭の思考が急にほのぼのに。身の回りの平和を感じました。

(去年この花は咲かなかった。一昨年までは盛んにさいていたのに、今年は

 葉っぱまで小ぶりに。年によって花にも陰陽がある。人にもね。)