花占い

好き、嫌い、好き、嫌い、ってマーガレットの花とかでやりましたよね。そのちょっと変形版ですが、〇と✕、運不運、吉凶。以前の私なら、終わりよければすべてよしだと疑っていませんでした。人生は。ところがふと最近、それって逆もありじゃないのか。昭和の秀吉といわれた宰相でも最後に犯罪者の汚名、民営化した通信大手の社長も。幸せ感は一瞬のものだから、最後は〇で終わりたい、や、〇のままが持ちいいのでは。終活真っ只中の私は、最後の最後に✕にならないようにと常々心の底に念じてきた。悩んでみても自分ではどうこうできるものではないとわかっているのにね。でも、浮き沈みの末の〇、幸運にもずーっと〇のどちらでも、〇まま息絶えてはもったいないではありませんか。最後に✕でもすぐ終わるなら、最後の最後は✕の方がコツパがよいのではあるまいか。変ですかね。。。。こんな青臭い話を共に語れる人がいるといいのにね。探してまーす。

まる八年、週記ブログ、まだまだ続けるにしても節目の今週、こんな内容でいいのかな。もうちょっと伸びしろがあっても、ね。

(毎年、ありがとうね。枯れずにいてくれて。)

七夕イベント

昨日ボランティアサークルで七夕のイベントがあった。年一ランデブー物語を紙芝居で紹介したあと、短冊に願いごとを書いて、笹につるす。幼稚園か小学校の低学年できっと経験しているはずなんだけど、思い出せない。願いごとといっても、人に言えないことは書けないので、きっと適当なのを思いつきで書いたに違いない。人には言えない秘密、子供の頃からのがあって、いまだにしょっている。心の闇というと怖い感じがするけれど、それが良い足かせとなっていることもある。大人になるにつれ、そして年を重ねるとその数が多くなる、と思う。物書き、特に小説家は自分をさらけ出す覚悟がないといい作品ができないと、だれかいに言われたことがある。自分は、そんな、とんでもない。ですが、勤めていた会社の社報にロンドン在勤の頃の私生活を連載して、これ社内でなかなかの評判となった。上昇志向の強い同僚から、俺は自分のこと君のようにさらけ出せないからね、なんて言われた。今でも耳に残っている。イベントも捨てたものでもない。非日常の行事はいつもは思いもつかないことを慮るものである。この刺激が脳には大事じゃないかと。冠婚葬祭は悲喜こもごもだけど、忙中閑みたいに、リフレッシュメントの機会、ありがたく思いたい。

(中庭のフリージアとちょとしょぼいムスカリ。春先に掲載を忘れていました。)

甘いもんの誘惑

実は甘いもんを食べたいという欲求は常にある。だけど孤独死した友人のことを考えると、誘惑にひたすら耐えているのです。だからやむを得ずたべることの大義名分に期待しているのである。会食の最後に出るデザート、孫たちがふいにやってきたときみんなで食べる買い置きのアイスクリーム。手土産でいただいた和菓子。ありがたい。私には以前からの大好物があります。米ポンです。お米そのものはあまくないのですが、コーティングの砂糖が甘いのです。米と砂糖の絶妙な塩梅、たまりません。会社勤めでは宴会の後に締め、ラーメン食べに行こうとかよくあるのですが、小食の自分にはありがたくない。ですが、上司に誘われると断れず。一度だけ、札幌出張時に支店メンバーと懇親会のあと、締めパフェに出会って飛び上がりました。今でも締めパフェは札幌が聖地だとか。乗換駅に期間限定仮設店が放つポップコーンの香り、デパ地下のベルギーワッフル。強烈です。スルーがつらい、我慢。和菓子ではどら焼き。子供の頃初めての感動は、ペコちゃんポコチャンのお店が自慢するイチゴのショートケーキ。こんな上品な甘いもんあるかと。甘いもんと言ってもガッツなぜんざい、おしるこは敷居が高いかな。やむなくいただきますの機会、次はいつや、早く甘露!と胸の内で叫びたいのです。あ。

(今年のカラーは違っている。白の部分が少なくなって、元気を維持している。

 いつもと品種が違うのかもしれない。値段も昨今のインフレでしたが。)

経年優化

近頃の私はことあるごとに、経年優化と貢献寿命という言葉を使っています。両方とも最近の言葉のようで、パソコンで入力しても、文字変換には出てきません。歴史書はその時の権力者の都合の良い形で残されているようで、真実や事実ともずれるようです。後期高齢者が目前な自分に都合の良い言葉、それは流布している経年劣化と健康寿命ではないのです。心のバランスを保つために、経年は劣化とは限らない、ただ健康ならいい、でもないと自分に言い聞かせています。息子たちのため、いいえ、まずは自分のために取り組んでいることがあります。金額的にはややでっかいことです。その多くが妻のセンスとプライドで作り上げた今の家を劣化させるではなく、優化させようと始めています。ピカピカにするのではなく、使いこんだものはその良さを生かそうと知恵を巡らせています。それを極力安価に、やや余裕な時間で付加価値をつけるDIYも。だから健康だけではだめで、さらに高み、人に貢献するほどのエネルギーが必要では。どこまでできるかわかりませんが、やってみなければわからない。そうです、”サバ缶、宇宙へ行く”、と同じです。何とかの冷や水と思われているかもしれませんね。

(注文したのは、八年同じ10本なのに、束はなぜが11本でした。

 今年は何か良いことが? 初詣に浅草寺で引いたのは凶でしたが。)

祥月命日

いつの間にか日陰の多い側の歩道を歩くように。明日、妻の祥月命日です。生前教会にかよっていたので、最後は教会でと、息子たちと話しました。カトリックの葬祭はびっくりするほで質素で、棺と祭壇には戸惑ってしまいました。56年生きたセンスとプライドを守ってやらねばと。棺の周りには好みだった白のカラーの花をたくさん追加し、霊柩車はド派手なキャデラックは避けてリンカーンに。火葬炉は特別殯館に。あとで分かったのですが、選挙応援中に狙撃された首相も同じ火葬炉だと、ニュースの映像で知りました。そういえば、9.11の直後に、単身赴任中の私に会いに来てくれた時も、Fクラスキャビンには、財界のVIPと二人しかいなかったと。JFKの到着ロビーで真っ先に現れたときにはテンションが上がりました。フラッシュこそ浴びなかったものの、出迎えの大勢の視線が彼女に。めぐりあわせなんでしょうか。サングラスしてメルセデスに乗ってましたねと近所の奥様方が語ってくれます。私がこの先しっかり生きることが、彼女のセンスとブライドを守ることに、なんちゃって。あ、また語ってしまいました。

(このマグカップ。スリランカにも行ったみたいですね。いったい何か国に?)

足かせ

この言葉にはネガティブな響きがありますが、わたくしは広い意味合いで理解しています。辞書編纂の方には叱られそうですが。日々の生活や、近未来、将来のことをで、足枷は大きなファクターとして、うまく働いていると考えています。自分の健康状態、メンタルとフィジカル面、経済状態、家族との関係、さらには、あと20年は無理だろうという寿命も足枷だと。それによって現実を客観的に見て、おごらす、謙虚になれるのかと。先のことを心配しても結果がよくなるわけではないと、フランスの哲学者がおっしゃっていた本を読んだことがあります。アスリートがインタビューで、楽しもうとおもっていますとか、演技前にでっかいヘッドホンで好みの音楽を聴いたりしています。先月趣味の能を略式で15分舞ったときに、何も考えずに楽しもうと望んだのですが。型を間違えたり、忘れたりしたのに、堂々としていらしく、観客にはわからなかったようです。師匠も、うまくごまかしたねと、皮肉まじりのおほめの言葉をいただいた。人間の行動とは非常に不思議で、神秘的なのだと、あらためて思いました。足枷はマクロ、楽しむのはミクロの領域か、などと、哲学めいたことを考えることもあるんですよ。あ。

(お風呂の外に這わせた蔦?に白い花が。今年初めて気づきました。)

とんでもないところに

数か月ほど前に消えたボールペンのキャップ。狭い自室での紛失なので、気が狂わんばかりに、ありえないと思うほど躍起になって探したのに。町会の書類を入れている手提げの底に見つけました。しばしの幸福感を味わった。経緯というか足取りがつかめない。でも、良しとしよう。見つかったのだから。見つからない毎度のことはコンタクトです。(飛)んでも(い)ないところにと思うので至近距離を探すので見つからない。初動捜査の誤り。とても軽い物質なので、ちょっとした加減で、意外なところ、とんでもないところまで飛んでしまっている。飛んでいないのではなく、飛んでいるのでしょう。ここにいるのに何で、こっちまで見に来てくれないと泣いているよ。切ない思いをさせてと、しばらくへこんだ気持ちがつづく。だけども時間、日にちが立つと気にならなくなる。忘れさるのである。別れた、去った、亡くなった人のこともしかりか。諸行無常です。やれやれ湿っぽくなりましたが、しょうもないダジャレに付き合っていただいて、恐縮です。くどい説明を老害などとおっしゃらないでくださいませ。

(マンサクの花。同じ写真じゃないのです。上の写真には隣の家の鮮やかな

 つつじの花がちらっと見えるのですが。)