ささやかな幸せ感

大きな幸せ感を持続的に持てる人はおそらくいない。ふと幸せを感じる、ささやかな幸せ感、それをたまに手にすることによって、生きて行ける。何とかやっていけるのだ。忙しい時の一休み、忙中閑。緊張の場面でのボンドガール。追いつめられたデスパレイテドの崖っぷちの一息。どんな不調が続いているときも、そんな小さな救いがあれば、乗り切れるように人間の体はできているのではないかと思う。何とかやっているから。笑っちゃあいけないところで、心の中はプッと噴き出すようにおかしく思う瞬間。表に出すと不謹慎。心の中は見えない、少なくとも今の科学では。世間から見れば大きな不幸に見舞われているのに、これで楽になる、これで終わりにする決心がついた。そんな一瞬救われたような安堵感、うたかたのHappyを感じること。冷静なのか性格がねじけているのか、冷酷なのか。でもそんなギャップ、大人だから、そんでもってこの先も生きていけるのかも。これが人間力であることは間違いないと思う。でも、ユーモア、潤い、いや、口にだせる適切な言葉が思いつかない。それを共感できることば(詞)でヒットを重ねた偉大なシンガーソングライターが惜しまれながら若くして亡くなった。”ことばを、詞をたいせつにしてきました。音楽でそれが伝わればいいなと願っでいます”。 ことばが心の中に染み込んで奥の深い気持ちの整理(納得か、慰めか。。)をたすけてくれる。たくさんの人が救われたに違いない。神様のルールは一見不平等だけど、人にはそれをささやかなしあわせの積み重ねで平等にできる力がある。不等号を等号にすると思いたい。長生する人、早死する人、幸せの面積はイコール。

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(イギリスの社宅で出会ったキノコのような花、中庭に毎年ぬーっと、にょきーと顔を出してくれる。白い彼岸花が何年かぶりに咲いてくれました。)