なぜ葵上か

いよいよ古稀が目前に迫ってきた。能楽を嗜んできた来たものとして一度はやってみないととかねがね思いつつも後がなくなってきての決断。折角やるならこれぞと選んだのが葵上。今年の前半までは紅葉狩がいいのかなと、漠然と描いていた。唐織、般若、舞台の上の作り物、ストーリーが単純で観客受けもいい。ところが具体的な選曲の段階で師匠と話してみると、葵上にメモリが大きく振れてしまった。紅葉狩の後半、鬼は着流しではなく大口袴、しかも作り物の中で履くのだという。般若は女性が嫉妬して口が裂け角が生えた顔だが、紅葉狩りの鬼は嫉妬ではない。人食いなのだ。一方葵上は着流しのままで一貫して女性、登場人物はかの源氏物語。嫉妬に狂い成仏できずにいながらも高貴な身が持つ品をキープ。演じても見てもらっても、申し分ないのではと、なぜ今まで思いつかなかったのだろうか。目からうろこ程ではないが、がぜんモチベーションが上がっている。うまくやろうなって思っているとだめ。腹式呼吸で通る声、感情移入、この二本を貫いてやろうと、爺ちゃん意気込んでいるのですよ。

(玄関脇のケヤキの落ち葉。毎年この恐ろしい葉っぱの量。これはなかなか

 体験できない贅沢だと。)