一歩前へ

今や死語となってしまっているが、一歩前にと呼ばれて列の前に出てビンタをくらうのである。小3の時に教師に殴られた。もちろん原因は自分であるが、今ならパワハラで立場が逆転ものであるが、当時はPTA会長の息子でも問題にならなかった。それ以前には風呂場で父にビンタ。体罰は未だに心の傷となって忘れることができない。同じ言葉でも男子トイレにあるのを読むと何とも微笑ましい。トイレといえば先日宇治平等院鳳凰堂阿弥陀如来をイメージしたと思いたくなる形状の男性用で用を足したが、あれは多分特注に違いない。さすがに世界遺産のお寺さんだ。一月ほど前に二階のシャワートイレがこわれ、思い切って便器では後発のメーカーのものにした。デザインがマッチしたからである。特に蓋の色がブラックで扉の色と同じという理由なのだ。単身赴任のアパート選びも便器がきめてとなった。マンハッタンのエレガンスを感じたからだ。話をもどすと、三つ目は残り少ない自分の毎日、お題目のように唱えている。長くてせいぜい20年を有意義に生きるにはこれしかない、一歩前へ。

(まるで陰膳のように、亡くなったチョコの寝場所をあけている。何と律義な。

 マックスももう人間なら90歳をこえている。)