時々失敗がちょうどいい

消化試合にするまいと、もちうる能力をフルに使ってしまう今の自分。自称あがく高齢者は物事がうまくゆくことがつづくと怖くなる。もうそろそろ失敗するのではと綱渡のように。だから時々小さなしくじりがあるとよい。年寄りの厚かましさで許されると思うのも良い。50手前だったNY単身中は、真っ向勝負したり、開き直って、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、てなエネルギーがあった。浮き沈みもなんのそのだったような。今もなくはないが、少し違う。あの時より経験を積み、老いによる安定感も醸成してきたのだろう。考える時間的余裕のおかげと頻度の減少で、しくじりが少なくなってきた。だからいつかは味わうしくじりがないようにあがき頑張るのだ。それが今のストレスとなっている。だからといって逃げるのはNG。逃げるなんて残り少ない終活期ではあまりにもったいない。自分で何を言いたいのかわからなくなったのでこの辺で止めたいが、少しはわかってくれる人もいて良いと、甘えさせてください。

(坪庭の花台、トイレからも見える。良いような悪いような。)