陵東特殊織物有限会社

仁徳天皇陵古墳の東に位置し、畳敷の日本では知られていないチューブマット、米国の中流家庭用の敷物を作るので特殊と名付けたと想像する。父は問屋制家内工業の元締めをしていたのかと記憶する。社員といっても親戚か下請けの関係の若い女性につれられて、年子の姉と一緒に輸出商社の人と三宮の貿易センタービルの最上階で中華料理を食べ、摩耶埠頭に泊まってる外国の貨物船を見学に行ったのを覚えている。その時の写真もきっと探せば出てくると思う。当時としてはリッチな体験だと、その記憶を大切にしている。リッチといえば、浜辺に近い旅館の庭で、ハワイアン、いやもっと激しく腰を動かすタヒチアンダンスか、家族で前の方のテーブルで見せてもらったのも思えている。貧乏すぎて親戚も遠ざかっていた家を豊かにした父。祖父からすれば孝行息子、自分が今分不相応な家に住み、過分な暮らしができるのも、父の頑張りのお陰、高度成長やバブルの恩恵もあるとはいえ、まさにパパ大明神と称して感謝している。その父は高校一年の時に胃穿孔と診断され、手術後腹膜炎で2週間後に亡くなった。今だったら助かっていた病気だ。その自分も古希を迎え、息子たちにそのことを伝えようとブログにしている。人生に’もし’はないが、父が生きていたら。はて、どちらも夢のようだ。

(6年ぶりに咲いた胡蝶蘭。3輪とも一か月もたつのにピンと、しわ一つもなく。

 すごい、あやかりたいな。)