夢うつつ

ときどきあれは夢だったのか、現だったのかと。なかなか眠れない夜にふと気が付くと少しは眠むれて夢をみていたのか、うつつだったのかと。夢と現実。能楽にはよくあるストーリである。旅の僧があやしげな人物に出会う。そのものの言うことを聞いているうちにしばらくすると幽霊らしきものが現れ、弔ってくれと僧にたのむ。僧の祈りによってその霊は成仏して消えてゆく。これも見方をかえれば、怪しげな人物に出会うところからすでに夢うつつのシーンが始まっている。最初から最後まで夢うつつと言えなくもない。あの世などは信じないが、今いる現実もこれまた夢うつつではという見方をしてもいいのかも。なにやら安っぽい哲学のような感じであるが。自分の流派の家元がある雑誌で語っていたが、能は見ながら眠ってもよいのだと。夢幻能などはまさしく夢うつつなのだから。高い料金をはらっても、気持ちが安らかになったのだから良しとするのか、まともに鑑賞できなかったのだからもったいないと思うかは人それぞれ。少なくとも自分は眠ると後悔する方の人間である。まだその域を出ていないのかもしれない。修業が足りないのでしょうか。

(つゆとをちつゆときへにし。。。とてもきれいでもはかなくもあり)