大丈夫、私はまだ生きている

へこんでいるときに、私はまだ生きている。ごはん食べてます。だから大丈夫。ステレオタイプのセリフですが、その通りである。生きているからなんとかなる。面白いことも起りうる。この世は偶然の連続ですもの。私が今だに分不相応な家にくらし、科目でもっとも不得意だった国語、そのうち読書感想文はもっとも遠ざけていたのに、週記のブログ、今年亡くなってしまったけどワンちゃんとのほぼ20年の暮らし。全く想像もしていなかった人生である。今も心配事はあるが、心配事がなかったら人間だめになる、弱くなる。今放映されている韓国時代劇はちょうど王様が認知症を発病するところ。10年前に見たときは思いもしなかったが、今や他人ごとではなくなった。先のことを心配してもそれによって変わることもないので心配無用だとフランスの哲学者がいうが、実践はむつかしい、されど参考にはしている。昨日ヘアーサロンで左分けを右に変えてもらった。最近生活は安定しているが、だから不安に、一歩進めたい、ちょっと変えてみたいの衝動だそうさせた。鏡をみてちょっと楽しい。何かがちがう。だた、多少不安なのは、誰も気が付いてくれないのではと。これは宝くじとはちがったわくわくでもある。さて、どうなりますか。

(我が家のアジサイ、今年一段と鮮やかに咲いた。この先何年この花を

見ることができるかなんてね。)