さわやかな失敗

元内部監査室長の矜持で、4月の施行に合わせてママチャリにヘルメットを着用した。ところが、周りを見てもなかったかのような現状である。それはさておき、五分程度の距離にあるスーパーを出たとたん大粒の雨がふりだし、あっという間にポケットに入れた皮の財布が湿ってしまうほどに強烈であった。ところがどうでしょう、なぜか心地よくペダルを踏んでいたのだ。微妙な時はいつもなら出がけにも気象アプリで確認するのだが、その日は時間がたっていた。着替えた後の爽快感、おりしもその日のドラマもロマンスの花が咲いた。失敗したときもかくありたい。一方対照的なのは人間のさが。過去の日本のように専制君主を認める国民、民主国家で拡大しつつある貧富の格差、大組織に存在する権力集中を許すさが。核の抑止力から離陸できない世界。将来核以上の抑止力がうまれても、人間のさがは変わらないのか。人類はこの繰り返しを乗り越えられようか。自分に残された長くとも20年程度の余生では。いや他人ごとのように言っていては何も変わらない。自分もできることをするしかない。過分に与えられた生活環境で。

(猛暑続きの今年の夏、異常気象が球根にも災いしたか。数十個のうち

 この一輪だけ世に出て来てくれた。ありがとう。願わくば子孫を

 増やしてね。)