牛の生肉

コロナもほとぼりが冷めて、久々の海外旅行はすこし緊張します。テンションは9時間のオーバーナイトフライトで徐々に上がり始めました。映画でもとメニューを見たがパッとしなかったので、子守唄になるかなと、落語・講談・浪曲をセットにしたのを選局した。何気なく聞く間に、’牛の生肉’が引っかかった。なぜ牛肉の生肉ではなく、うしの生肉なのか。自分の習っている能の言葉の使い方、仕舞の型、そこに通づるものがあるのです。同じ言葉や同じ舞の型を繰り返さないという約束です。この場合’肉と肉’だと、繰り返しになるのです。演目は古典ではなく師匠の新作だそうで、流石だと、特にメモってもいないのに、いまだに覚えている。刺さったのです。こんな小さな刺さりが翌朝9時についた後にも、シドニー空港での乗り継ぎに疲労感は少なかった。人間のからだは不思議なものです。古希を迎えたこの体にも不思議がやどるのですから。そういえば、先週スポーツクラブの平泳ぎの無料レッスンの時も、わきの下に丸太を抱くように腕を少し広げると肩甲骨がうまく働くと聞いた刹那、これは能の仕舞の構えに通じるなと思った。なぜが種目をこえて一貫するものがあるのだと、そこにも不思議を感じています。

(これコーヒーなんですよ。コーヒー飲むか?って英語で聞かれたと思うの

 に。間違いではなかったようだ。味は今一だったけど、おどろきの興味が

 通じたのか、一箱もいただけることになった。)