演能の後遺症

一月以上過ぎたのにいまだに何かおかしい。これまでとは違った違和感がある。師匠も経験がない演目、葵上の能を演じたのが先月。初めての演能。想像以上だった。7年前にも似たような極限をあじわた。労使団体交渉の会社側の交渉委員長を任されたときだ。あの時の経験を活かせたのは、姿勢を正すことだった。堂々と胸をはって、最後までやり遂げる。どんなハプニングがあろうとなんとかして最後まで。業界を代表してのお勤めに甘えは許されない。何とか踏ん張る。まさに、演能もおなじだった。だから終わってからの安堵感と喪失感は半端ではなかった。打ち上げの飲み物も料理もほとんど手をつけられない、つける気にならない。そんな感じわかりますか?会費が12000円なのにですよ。終わったあとやっとのどの渇きを覚え、近くの居酒屋で生ビール。美味しかったこと。あれからです。仕舞や謡のお稽古、仲間内の謡会もこれまでとは何か違うのです。変なんです。演能の時のことが頭から離れないのである。トラウマとは違う感覚。余韻といえば聞こえはいいが、ともかく、この空気からいつぬけだせるのか。ただ言えることは古希にして、こんな経験ができたことは幸せなことだということでしょうと。

(上:コロナになって使い始めたハンカチ。沖縄出身の国民的歌手でブームになった

柄もあります。下:現役時代の遺物)