顧問のお仕事

”もともと名誉職的な性格が強く引退した元役員などを常勤ないし非常勤の顧問に充てるケースが一般的ですが、近年は弁護士や社会保険労務士、各種コンサルタントなどの専門家に外部顧問として顧問料を支払い...”(○○辞書引用)

いずれにしても、指示権限がなく、依頼に応じたアドバイスにより価値を認められるお仕事である。外部の専門家が商売として顧問料を得る場合とは異なり、元役員の顧問は就任直後の気持ちの切り替えが課題と言えよう。上司としてのかつての後光もオーラもなくなって、元部下と顔を合わせる同じ会社に勤務しながら、日常仕事がないなかでテンションを保つのは、やってみて初めて容易ではないと感じるものである。人はだれかに必要とされたいから誰かのために頑張るが、その誰か、何をかが都合よく見つかれば苦労はない。年を重ねると好々爺然としていないと人が寄ってきてくれない。息子からの助言は、いつまでも清潔を保ってほしいと。身のこなしやしゃべり方に老いを感じさせないことも大事なことかもしれない。知性と品格があれば、若者とも勝負できると朝ドラだったか主人公のセリフが記憶にある。おせっかいをありがたみとして評価されるホームドラマとは違い、おせっかいはうわべで評価されても浮いてしまうもの。かえって疎外感が深まるだけである。おすすめは、あくまでも受動的に、でしゃばりたいのを我慢する。ものたりなくもどかしい元部下を、一歩引いてあたたかく、ユルキャラでも十分と見守ることが大事なのである。でもひとたび頼って来られた時は全身全霊で対応し、それが神対応であれば大ヒットである。そして存在を評価されることで自分のテンションが保たれる。フィードバックは期待できない。もはやレポーティングラインではないので当然と言えばそうであるが。結果くらいは報告しなさいよ、折角アドバイスしてやったのだから。でも口に出しては言えない。言うと鬱陶しがられ距離が遠のく。実に孤独で自己満足の世界だ。相手の評価がわかるのは次のご用命が来た時である。ルーティンが無くなり、会議、メールも激減し、情報

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が細り、賞味期限が、いや消費期限も迫る状況で、常に期待される神対応が可能とは思えないが、プロなら泣き言を言っちゃあいけない。言い訳はしたくない。言い訳する人にだれがついて来るか。基本は過去の蓄積をベースに、知性と品格で対応できるように体と脳を維持すること、その努力を怠ってはならない。有難いのは時間に余裕があることだ。以前は時間の制約で聞き流す、読み流すことしかできなかったが、メールや記事をネットで検索し深く理解することができる。顧問の日常業務は検索だと、同期会で誰かが言ってたが、言葉の意味、その背景、行間の理解までもやりだすときりがないが、今になって、そういうことだったのかと理解できる。

謡と仕舞のお稽古も、年齢と熟練度に応じて人様々でよいと思うが、お稽古仲間と楽しく続けるためには顧問のお仕事のこころえが役立つと思っている。

                 (小鼓  挫折の遺品)