夜の銀狐

パフェのメニューに’夜の銀狐’や、’カトレアの恋’とか、源氏名をつけていたパーラーがあった。梅田の私鉄ターミナルの地下街、川が流れていて当時としてはオシャレの最先端だった。このお店に時々行っては順番にテイスティングしていた。父親が高1で亡くなったので下宿はNGと言われ大阪の南部から六甲山の麓まで通学していた。この私鉄、タカラジェンヌもお辞儀をするらしい阪神間三線では格調高いとされていたので、長距離通学も結構好きだった。だから神戸方面は土地勘は今もなく、梅田や難波で過ごす時間が多かった。この格調高い私鉄で過去に一度だけ不快なことがあった。網棚に買ったばかりのスーツを忘れ結局戻らなかったのだ。それから3年後、あのロスの遊園地で財布を無くしたが、チャンと東京にまで送られてきたのだ。この格調の違いは何なのだと思いだすたびに未だにもやもやが消えないでいる。そういえば、あのころこのパフェの店だったか違うところでかはハッキリしないが、高校からの友人がレジの女性に「お名前は?」と聞いたところ店の名前がかえってきて大笑いした。良き青春時代だったのだ。

(二階のトイレを取り換えた。後発会社のデザインが気に入った。我が家の色調

にマッチしたので決めた。ただなぜか施工会社は勧めなかったのが不思議なのだ。)