嘘と寡黙の罪

人との会話では加齢による美徳とでもいいましょうか、若い頃より気を付けて、気を使ってしべっている自分が増えています。人の悪口はもちろんNGですが、自分のことについても慎重になっています。嘘もいけません。もちろん嘘も方便の範囲内のことは許されるでしょうが。ちがごろ思うこととして、寡黙も罪になる場合があるように思っています。触れられたくないこと、触れられたくない話題に向かうと感じたときはその部分を除いてしゃべることがあります。嘘はいわないのですが、一部にふれないことによって、全体として相手の理解が真実とは異なってしまうのではないかとの懸念です。そんな場合は嘘に近い罪になるような気もします。かといってうまく調和させてできるだけ罪のないように計らうなど、努力はできても保証の限りではありません。そんなこんなと考えると会話の範囲がどんどん狭まっていくのも寂しいかなと。だから深く考えないで、パーフェクトを狙うのではなく、感じるままにコントロール、はぐらかす程度のことであれば、だれも咎めはしないと思うしかありませんよね。

(先週の週記の写真が今整いました。BBQの主役的なテーブルです。

 見てやってください。)