イーストリバーで散骨

パパ、死んだらどうしてもらいたい?って息子が言うので、好きにしてもらっていい、ただ言っとくけどお墓はいらんからねと言い切った。定年まで海運会社に勤めていたので骨は海に散骨とかしてくれればいいからねって。ふーん、じゃあ、イーストリバーに散骨ってのはどうかな。そりゃいいね、法的に問題なくできるのなら面白そう、っていったけど、自分はその面白い行事に参加できないのよね。現時点での想像でしかシェアーできない。9.11のテロのあったころアッパーイーストの河岸にそびえる高層アパートで単身赴任していた。其の川面は毎日目に入っていた。散骨は結構高くつきそうだけど一回きりなのです。お墓は淡々と続く手間、かかる維持費は残されたものの負担が大きい。時がたつほどもやもやしてくるものだ。司法書士が言ってたが、骨やお墓のことは本人の希望より生きている人の可能な範囲という制約が勝る。先日母の納骨式の為に兄弟三人が集まってその後自分たちの葬式や墓の話題となった。二人とも葬式の宗旨やお墓については特にこだわりがないといっていたが、本音はどうかわからない。分かっているのは三人ともこんな話をするような年齢になったということ。兄のアッシーとしてそばにいた甥はこの会話をどうおもったやら。

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(上:今のWTCから見たイーストリバー。下:今年もコルチカムがにょきっと顔をだしてくれた。これを見ると不思議にうれしくなるのです。)