三種の便器

我が家にはトイレが三か所ある。玄関脇、和室手前、二階。もともと4人ぐらしだったが、今や二人。単純に一つ多い。築二十年にもなると、当初からの便器は和室手前のだけで、それも便座は二代目である。二階の便器は後発参入メーカーのに変えた。陶器ではなく合成樹脂で不安はあったが、家の色調である扉の黒、壁の白、床の白木にマッチする蓋の黒が気に入った。便器にはこだわりがある。去年古希の自分は子供のころ、日本の便所は汚い象徴であった。イギリスの田舎のトイレを見て感動した記憶がある。それが今やシャワートイレもあり、世界水準を上回っている。1999年の夏、マンハッタンで単身生活のためのアパートを探していたが、決め手はエレガントな便器だった。ジバンシー調のシャープなライン。少し高かったが刺さってしまった。孫の男の子は小学校高学年になったが、お泊りに来た時は和室手前のがお気に入り。というより、全自動のトイレが怖いのだという。汚いトイレが怖かった昔と違い、最先端が怖い。なんとも皮肉なものです。二階の便器は元は和室手前のとおなじだったが、いつの間にか全自動になり、それが一昨年に壊れて今のにした。家庭用洗剤の泡が勝手に洗ってくれる。自動は壊れやすく、さらに一体型は交換コストが高くなる。進化すると別の意味で選択がむつかしくなる。これって贅沢ななやみなのでしょうかね。

(上:この黒の握りはほぼ40年の付き合い。下:グレープフルーツとイチゴのスプーンはほとんど使った記憶がない。アイス用は探す前に普通ので済ますことが多い。その上のは毎朝ヨーグルトに入れるジャムを取り出すのに使っている。瓶の口がせまいから。)

主夫もエッセンシャルワーカー

生活必須職従事者と呼ばれ、医療や福祉、警察や消防、物流や小売業等、いかなる状況下でも社会生活を支えるに必要は職種なのですが、ここに主夫は入っていない。正月や休日でもごみの始末、風呂の始末、洗濯、寝具の用意など、放っておくと溜まる。自分一人ならそれでもとお思いでしょうが、息子家族がやってきたらそうもいかない。そんなとき、エッセンシャルワーカーだよねと。でもGDPと同じで公にはカウントされない。一度やってみたいウイッシュリストは年末年始に温泉旅館。生前妻の実家で過ごした時もあったが、求めているものとはちょっと違う。温泉とプロのもてなし、2回とはいわない、一度経験してみたいものだ。正月三が日は近所の目もあるので表の掃除はしなかったが、ごみ集めと風呂の始末は毎日。休日特別手当も出ず、逆に出費が増える。実に割の合わないワーカーなり。とはいえ冷静にふと考えをめぐらすと、もし、これらの環境が一変し、何もしなくてよくなったらどうか。一度は物珍しさに思うが、続くとおそらく耐えられなくなるのではと思う。エッセンシャルワーカーのエネルギーの源がわかったような気がする。人間とはそういう生き物なんだと。

(君たちも良くがっばっている。20~40年のお付き合いだ。

 これからも、そう後20年はよろしくね。)

私の黒歴史

サラリーマンご愛読で経済紙の最終頁にある履歴書、勤めていた会社からもお二人が掲載されたが、評判には明暗が。人の自慢話ほど退屈なものはない。その差が出たのだ。小説のサクセスストーリーは読み心地はよいが、企業のトップはその反対で失敗談の方が面白い。以前社報に駐在記を連載したときの評判がよかったのは失敗談も含め自分をさらけ出したからだと同期から聞いた。あの頃は人を羨んだりねたんだりすることはなかった。まさに、人から学ぶのは良いがくらべなくてもいい、だった。古希となった今じっくりと振り返ればいろいろあったけれど、思い出すと少しつらいが、だんだんその味がうすまっている。それが年の功なのかはしれないが、決して忘れていないから教訓となっていることは確かである。正しい意味での初心忘るべからずなのです。一方良かったことも覚えている。いつまでの過去の栄光に浸ってはいけないとは亡くなった友人の口癖だったが、人は思い出だけで生きて行けると言うごとく、忘れてはいけないのだと思う。ともあれ、私史上最大の黒歴史はやはり、あれ。。。

(今度の多肉植物はどのくらいもつだろうか。水はやりすぎがよくない。教訓だが
 ついやってしまう。むつかしい。)

外圧も悪くない

ネガティブな響きの外圧ですが、日本の歴史では外圧によっていい方向に向かってきたように思っています。封建制度から近代国家に向かいはじめたのは開港をせまる欧米の外圧。成金宰相の暴露記事に反応が小さかった世論が外国人記者の指摘で現職中逮捕に発展。最近でも、セクハラを取り上げなかった日本のマスコミに代わって、英国記者の外圧で世論が激変した。日本の国民性は外圧に弱い、外圧がなければ変われない、そういうことかもしれません。自らの気付きによる自浄作用というのは理想的ではあるが、なかなかハードルが高い。その気づきでさえ、なんらか外からの指摘がないとできないのでは。自らを客観的に見るというのはなかなかできるものではない。企業の内部監査制度も自浄作用のあるなしで、全く違ったものになる。トップの意識の問題かと。どうしても外圧がないと変われない会社は大きな外科手術が必要になりますが、それでも外圧でよい方向に導かれます。いわゆる医者嫌いの人は自覚症状をとことん隠します。その周りも同じ価値観だと、ますます最悪の方向に進みます。日頃の健康診断を怖がらず、嫌がらず受ける姿勢が大事だということです。大きな外圧を受ける前に小さな外圧をキャッチできるかが分かれ目ですね。

(変哲もない写真ですが、大好きです。リビングを癒してくれています)

小さなこだわり

コスパを求める生活のなかにもこだわっているものがある。オリーブオイルは少し高くてもイタリアのを選ぶ。烏賊はスルメイカ。正月の祝箸の袋は水引付きのものをと。子供のころの実家では正月の三日の朝、祝箸の袋の底を箸で貫く習わしがあった。その土地に古くから伝えられてきた正月の精進料理、三日の午後からは解禁となり、夕飯はすき焼きだった。その昔村に疫病がはやったので、その戒めとしての風習とか。雑煮は麹が浮かんだ白みそで、肉というものはNG.カツオや雑魚のだしもNG。色野菜もなくほぼ真っ白で不味そうにみえるが、なかなかいける。重箱は5段がさねで、今はやりの通販のよりでかい。だだ、中身が精進料理だから、何をどうやって詰めていたのか思いだせない。裕福ではなかったが、お重と雑煮の黒いお椀は漆器だとおもう。今ほど高くなかったのだろう。実家の姉にまだ捨てずに残してあるか探してもらっている。塗りなおして、正月の飾りにしようかと。サイズが大きいので今や実用的ではないからだ。こんなことですこしでも昔の面影をのこして、子や孫につたえたいと思うようになってきた。年だねといわないでください。なかなかできない、いいことなんですから。

(こんな写真なかなかとれないと思って残しておいた。アップするのを

 忘れていたようです。)

盛りだくさんだった週末

同居する次男が墓参りをしたいというので、実家の姉に頼んで花とか段取りしてもらった。この立派なお墓をゆくゆくはどうするのか課題はあるが、墓参りはそれなりの意義があるように思える。そして姉も一緒にお笑いの本拠地で、漫才・落語・奇術・新喜劇を初体験。いまだ修理中の動くカニの名物看板のお店で蟹づくし。そのすぐそばの橋からみえるネオン広告の写真を撮って3人は解散。自分はというと翌日の仕舞出演の着物がはいったキャリーバックをコインロッカーからだして能楽堂近くのホテルにむかった。翌日久々に流友と趣味の空間に没頭し、二次会までも。それでも毎週見ているドラマの最終回がみれて就寝。三日目の日曜日はかねて狙っていた京都の有名コーヒー店にて本店限定のケーキセットを、30分も並んで味わった。昼食が中途半端となったが、二条城に直行。鴬張りの廊下で思い出した。遠い以前に来たことがあるなと。盛りだくさんだったが、なにかピリッとしたものがなかったなと思いつつ、羽田でリムジンバスの時間まで非常食のビスケットを座って食べていた。すると目の前をマイタイプな女性が通り過ぎていった。その人が乗車待ちの列で行き先を訪ねて横からのぞき込んできた。あ、この人と、ご縁がと思いきや、行き先が次発だった。些細な事でも一瞬のキュンを味わって、救われたのでした。チャンチャン。

(今年も咲いてくれました。長持ちが得意です。いじらしくも、
  健気でもあります。今年ますます気に入りました。)

 

おたのしみ会

コロナ明け最初のおたのしみ会が終わった。日本語ボランティアも懇親的な催しを中断していたので、コロナ直後入会の自分もふくめ初めての経験の人が多かった。日本人同士でパーティーをすると、顔見知りどうし長く話しがちで、一人でやってきて孤立している人が何人かはいる。ホスト側としては、そんな人を見れは声をかけたりしたものだ。が、外国人はちがった。見回してもポツリと立っている人がいないのだ。まあ、日本に来て積極手に日本語をならうような人だからなのかもしれないが、流石だと思って全体を観察していた。いつものレッスン時間を三十分短縮し、教室の机を並び替え、テーブルと荷物置き、壁際に椅子と準備した。食べ物係が買い出しに行く間、自己紹介をして間をつなぐ。アルコール抜きだけど、みんなしゃべり、食べて飲んで、ゲームをしと、あっという間の2時間だった。多めに用意したのと依頼しなかったのにお国の料理をもってきてくれたりとかで、たくさん余った。それは想定して用意していたフードパックに各自好きなのをつめてテーブルはまもなく元の景色に戻った。準備はそれなりに大変だったが、終わってみるとやってよかった感が残っている。今でも。

(この夏の猛暑で一旦全滅したかにみえた、ホトトギス。咲いてくれて

 感謝、感謝です。)