曾呂利と御座候

まるで天龍寺龍安寺の思い込みの錯そうのように、曾呂利のことを’存じ候’と思い込んでしまっている。龍安寺にある石庭を見ようと、何度天龍寺に行って自分の思い違いにあきれたことか。数年ごとに、曾呂利のことを’存じ候’と思い込んではネット検索であきれるしまつだ。曾呂利は八咫の鏡を形どった白あんの焼きもので、さっぱりとした甘さの和菓子。我が故郷堺に伝わる銘菓である。紛らわしい名前の御座候、関西では回転焼きというので、関東にくるまでは自分には馴染みのない名前であった。この候と曾呂利がマリアージュして存じ候となって、その記憶が脳の奥の方に保存されているためかと素人医学で分析している。友達に’存じ候’って知ってるかと尋ねると、御座候のことではと、そして、すぐその先で行きづまる。ご存じないのである。当然です。こんな自分を以前は嫌いだったが終活に入ってからというもの、思い込み、間違いをする自分をときどき可愛いとおもえるときがある。これがありのままの自分と付き合うということなんでしょうか。

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(二階のトイレ、便座からの映像である。毎朝決まって6時過ぎに立ち寄る、

 いや座る。マグカップの湯冷まし一杯。そして一階和室にてスマホのBGMで

 ストレッチ。)