過分に与えられた生活環境で

退職して早三年が過ぎた。取り敢えず一年は放牧と称して自由にやりたいことをと、将来より過去をふりかえりみながらすごしていた。未だに生業についていない。いわゆるシルバーの仕事に就く気にはなれない。その代わりにはじめたこと。年齢性別にこだわらず人に接する機会を増やそうとスポーツクラブや趣味の習い事で飲み友達を作ったり、同期会・同窓会その他、お誘いには進んで出るように心掛けた。二年前、その付き合いの中で今やっているボランティア活動のことも知った。人からすれば自己満足と言われてもいいが、自分ながらの終活の方針が決まった。年金やその他で当分は食って行ける。過分に自分に与えられた生活環境。働くことで現金収入は得られなくても、仕事と同じように頭と気力を全開にして頑張ることによって、これから先、通常なら体の衰えにともなう膨大な医療費・介護等のコストがセイブできる。支出の減、それを収入と考えて、いわば将来への投資として頑張る。そんな選択ができるのではと思っている。草花は枯れて土になるまでにドライフラワーの過程を挿入することにより、第二、いやそれ以上に輝くという。人は死んで49日は仏の弟子になる修行の旅をするという。成仏の過程。自分としては終活がドライフラワーや成仏への旅と考えて、なにやら終活というものに充実感を覚えている。最近とある付き合いのマイタイプからカッコいい、オシャレですねなんどといわれ、悪くないなと思っている。まことにおめでたい自分であるよ、のう。

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(サボテンはなかなかうまく育たない。どうやら多肉植物が良さそうである。)