小さな一線を越える

レッドラインを超えるようなことは小心者の自分には恐らく一生できないとしても、小さな一線は越えることはできる。いや、今機会あるごとに積極的に挑戦している。なぜって、この世にいる時間がマックスでも後どれくらいか見えてきたからですよ。命を与えられたものの義務のようなものと、後がないという腹の据わりを感じるからなのかも。これまでよりは少し、一歩でも前にすすむことによって、絶対時間を相対的に延長できるような、そんな得々感。老いることは悲しいことではない、むしろ楽しいというのは本当かもしれない。小さな一線は日常での変化球で生まれてくる。不倫はレッドライン、越えてはならない一線だとしても、友達以上、不倫未満の関係は保守的な倫理観でも越えて許される小さな一線と思っている。レッドラインを越える直前で踏ん張る。其の時双方が同じ思いでいると切なさはあるものの、気持ちが通じたという奇妙な満足感が残るにちがいない。気持ちの通じあうことがどれだけあるかが幸福の尺度かと。そう、プチ幸せ感の積み重ねで人はいつかは終わると知っていながら生きて行けるのです。だと思って私はあがいているのですよ。

(久々に咲いてくれたハイビスカス。寝起きに通ったら目が覚めました。)