おじいちゃんの髭剃り

今朝ひげをそろうか一瞬まよった。外出しない日、通常なら髭はそらない。だけど、今日の憂鬱な天気を思うと、顔だけでもすっきりしたほうがよいのではと、剃ることにした。そういえば毎日家にいたおじいちゃんは父が買い与えた電気カミソリで毎日剃っていた。使った後の掃除も毎回念入りに隅々まで粉をぬぐってた。それで午前中の半分ぐらいがすぎていたような。名前は熊吉で熊そっくりではないけど髭は濃かった。三畳ほどの狭い部屋にほとんど一日中すわっていた。大きな火鉢があって、当時珍しかったカラーテレビも四本足で隅に立っていた。そこ居心地はよかったのだろう。それにしてもなぜ毎日かと。時間つぶしもあるが、息子にもらった髭剃りを使うことのうれしさや、その日のすっきり感がよかったのかもと。ちょうど今朝の自分が毎日なのだろう。2,3日剃らずに出かける日の前夜に長めの髭を泡を使って剃刀で剃るすっきり感。顔の産毛も取れてつるつるに。このすっきり感のために剃らないのか。これもなかなかである。だからその日の気分でよいのだ。髭剃りでそう悩んでも仕方がない。さわさりながら人の心まで支配する髭剃、奥深いものに違いない。

ヤマボウシが雨に濡れた重みでこちらを向いてくれている。ことしも

 透かし剪定をやって、来年にそなえよう。梅雨入り間近。)