外国

東京オリンピックの前年1963年に家族旅行した。一泊で東京、今だと余裕であるが、当時は早朝に出発しても東京到着は午後。翌日午後の出立で大阪到着は深夜になる。特急で片道6時間半、ハワイに行けるほどの長旅であり、まして当時の自分にとって東京は時間や距離以上に遠い外国。白黒の記録映像のシーンとなって鮮明に記憶している。こだま号の食堂車、白いテーブルクロスに初めてのナイフとフォーク。窓の向こうに昼時の富士山。明治神宮の鳥居と異様に高い樹木。薄暗い旅館の和室に大きな黒い漆の卓。テレビでよく見る東京タワー、国会議事堂、東京駅。実物は総天然色のはずなのに、記憶はどういうわけか、アルバムの写真と同じの白黒。それから25年たってのこと。外国での暮らしはすべてが非日常の連続で刺激が強く恐ろしいくらい脳に深く刻まれ

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る。3年たってもまだまだ非日常だった。帰国するまでは気付かなかったが、自分の日常、日本の生活に戻り始めると間もなく脳のなかにあるマグマの活動が活発になり、まさに爆発するほどの勢いで活字を産み飛ばし、文章となって降ってきた。文学とは縁遠い自分、ロンドン駐在を終えた帰国後に社内で書いた駐在記が社内で評判になったのには驚いた。あなたのイメージとかなり違いますよ。こんな文章を書くなんて顔と一致しないわ。文才あったんだね。私涙がでました。とかとかで、続編まで期待されたのに、日が経つにつれて急速に作文をつかさどる脳細胞が収縮。あれからかなり久しい。

(往年のMaid in Japan 。モントーク岬の土産物店で購入、1986年)