折り合い

ほとんどの人が夢と現実に折り合いをつけて暮らしている。そしてその中に人生の幸せを見つけている。ってセリフを朝ドラで聞いたとき、自分だけじゃないんだと改めて思った。自分の意見を曲げるのでもない、相手に負けたわけではない。前に進めるために合意をする。そんなことを弁護士の方から教わった。正しくそれは折り合いだ。食レポで和牛の飼育牧場を取材する人が、美味しそうと無邪気に言っているのが当たり前のように放映されている一方で、香港出身のアイドルが日本の公園にいるハトを眺めて美味しそうと言ったことに多くの日本人が違和感をもったニュースを思い出す。釣りの番組では魚の命が全くスルーされている。50を過ぎて家に犬の赤ちゃんがやってきて、生き物との距離が突然近くなった。そして人間以外の生き物の命についてもふと立ち止まって思考することが多くなった。家畜や魚、さらには植物だって同じだ。究極は物だって、むげに破壊するのは気が引ける。この折り合いは、命(広義には物にもある)に感謝して呑み込むべしと言われている。病人や異常者と健常者との境界、犯罪との境界。境界まではまともとみなす、紙一重の線引きが折り合い。かのように、世の中すべて折り合いでなりたっている。何を考えているのか理解しがたい人に出くわすと、この人は自分のなかでどう折り合いをつけているのかと首をかしげることないですか。そう、折り合いは人それぞれ、お国それぞれです。だから紛争や対立が絶えない。比較的近い価値観で仲間をつくると、一見良さそうだが、集団となって対立を激化させ紛争に、さらに戦争に。集団的自衛権はそんな危うさが隠されている。おや、話が飛躍してしまいました。

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(荒れた芝の庭の一角に群生。鳥たちの糞が運んだ種からいつのまにか白い花をつけるまでに。)