忘れるのが怖い

趣味で習っている能の舞、一度やった曲も時々は復習しないとどんどん忘れて行く。それがもったいないので時々復習に時間を割くのだが、そうすると今習っている曲の稽古に集中できない。折角マスターしたのにと思えば思うほど怖くなる。似たようなことはスマホの検索画面でも。過去の履歴が目に入いると、その英単語の意味を思い出せない。すでに忘れている。思い出そうとクリックしようか迷う。このまま忘れてもよいものか。単語なら良いが過去の恥ずかしい、悔しい経験を忘れるとまた同じことやちゃうのよね。まさに初心忘るべからずなのに。体内タイムラインもメンテが必要だ。過去の出来事の前後関係は時々反芻しないと記憶が辿れなくなる。あれがあったのはニューヨークにいたころだから、いやそうじゃない、まだ妻が生きていたころのことだ。いや、もっと下ったときの方がつじつまがあう。人とのつながりも今の関係に集中すると過去のことを忘れてしまう。寂しくて怖い。何かを得ようとするならば何かを捨てないといけない。記憶の器の大きさは決まっているようだ。忘れる勇気を持つべきとはわかっていても、簡単には自信がもてない。先月亡くなった母の葬儀で何十年ぶりに会った叔父が、年行くと毎日を一生懸命生きたくなると。私もそこそこ年寄りだけど、若い頃の甥に話しているのだろう。忘れることが怖いと思う自分は終活を意識してのことかと。忘れたらどうしようなんて思わないで、開き直って足元のことに勢力を傾注すべきなのでしょう。おそらく同年代のものはみんな似たように思いを巡らしてるのでしょうが、自分だけが特別でそう思うのだと。やっぱり自分は十分おめでたい。

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(あっちこっち行ったときに買ったプチ土産。いつ頃だったか、順番になれべられるだろうか。今おさらいしておけばあと十年はできるかも。でもやる気力がない。それでよい。)