終活の範囲

終活を葬儀への備えと定義する人もいるが、自分としてはサラリーマンを退職して以降見えてきた先のthe endまですべてのことを終活の一環と考えている。メッチャ広義やんかと言われそうである。広義・狭義といえば、今開かれている国会の予算委員会で野党議員の追及に苦しむ閣僚の中には、法的には問題ないとの発言があるが耳障りでならない。狭義のコンプライアンスは法令順守であるが、広義となると道義的責任までが含まれる。SDGが広まるにつれ、広義が一般には受け入れやすい。人は追い詰めらると狭義にしがみつくものなのだろうか。それ言う?って感じの方には辞表が見えてきます。終活を広義に捉え総合的に受け入れたいのは、これからの20、30年を生き生きしたものにしたいという、自分なりのあがきなのである。

(我が家のホトトギスは今満開である。好きな花はと問われれば、

 白のカラーかな。親父ギャグじゃないですよ。マンハッタンのブティック

 で見たこの花の痛烈なセンスが未だ忘れなれない)