終わった鉢

お祝い事の胡蝶蘭の鉢、後はどうしているのか。終わった人、終わった鉢、なんとも悲しい響きでならない。部長の役職定年で関係会社に移籍して、そこも定年となった自分。終わった人なのか。そんな思いもあって、会社で一定期間過ぎた胡蝶蘭の鉢や自宅用にもらったのも活かすようにしている。鉢は通常ラッピングしてあるので見えないが、ほどくと高い花だけあって鉢も見栄えがする。終わらせておくのはなんとも忍びない。大きく伸びたた観葉植物の枝を切り取って水に浸けておくと大抵根が出てくる。胡蝶蘭で終わった鉢を、今度は観葉植物の鉢に転用している。一般的にはどうしているのでしょうか?国政選挙の後とか、おそらくは業者が大量に引き取って再利用しているのでしょうか?年金生活に入った今、胡蝶蘭、観葉植物の次にいるのです。何をもって終わったというのか、けっして終わらせたくない。終わるのは終活のジエンドの瞬間だけにしよう。退職してから一番変わった点は、人に会う機会が激減したことだ。コロナ禍でオンラインが普及したが、対面にはかなわない。人に接すると何かが違う。人にかかわりあうことをして、多くの人に接しよう、それが終わったと言わせない唯一の方法ではないかとあがいております。

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(終わっていない鉢、胡蝶蘭の時はラッピングで見えなかった。)