平成最後の年末年始

妻が亡くなって初めての年末年始。これまで通り長男家族がやってきて、大晦日の焼肉、元日のおせち、二日は回転寿司。お決まりのメニュー。焼肉を心行くまで食った帰り道、あと十歩で玄関なのに、何やら下腹部に違和感。ついに加齢による失敗かとヒヤッとしたが、抱いている孫を少し持ち上げた刹那、コートとズボンの外側の濡れを察知。アッやられた、でも不思議。何かあったかい、いえおしっこのではなく、幸せの味わい。孫が心を許してくれたのがうれしかったのだ。こんな気持ちになれたのは、特別な年末年始で、神様がルールにしたがってご褒美をくれたのかもしれません。次の年末年始のルールは?

元日の朝、妻が残してくれたマイレージのシャンペンで乾杯。そして子供達が寝静まってからは、4歳のフランス人形が背負ってきた妻のバースイヤーワインを開けた。そのうちにと残しておいた赤ワイン。渋みが取れてとてもまろやかでした。妻は今や神様のルールを知る領域にいる。この先、自分は年を重ねるが、妻は年をとらない。もともと八つ違いがますます開いてくる。センテナリアンになるころには孫ですよ。年末年始の数日は非日常。毎朝の体操も、謡と仕舞の自習もストップする。それで使っている和室と地下の物置の半畳の板敷、寂しそうである。長男が結婚するまでは毎年妻の実家にお世話になっていた。それで、気が付いたらもう十年にもなりますか、久々に四日の日長男家族と一緒に総勢6人して押し掛けることにした。丁寧なコメント付きの懐かしいアルバムが用意されていた。家族四人でロンドンで暮らした家に、ご両親が遊びに来られた時のものだ。最初のページには妻が父親に送った招待の手紙。義父はそれを読み上げる。元気づけるための訪問が、娘に先立たれた父親の寂しさを掘り起こしてしまった。我々の身勝手な思いやりが。そっとしてあげたほうがよかったのかも。油絵の生徒も何人かいる義父は、娘と旅行した風景の絵で個展を開く計画という。娘を持たないとわからない。が、そうとうな思いに

f:id:toyotac:20190105165415j:plain

f:id:toyotac:20190105165542j:plain


違いない。こんな平成最後の年末年始、終わってみればまたさりげない日常。謡と仕舞のお稽古、水泳、歯医者、整形外科、皮膚科の通院が始まる。神様のルール、知らないほうがよいのかも。

(上:妻のバースイヤーワイン。下:リビングでうっそうと茂っていたプラント、思い切って剪定したら、たくましく芽を出してくれました。)