アート

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(ベルリンの壁の石と、このトラバント、大事にしています。)

博物館でいわゆる名画といわれるものを見る機会があった。しばらく眺めているうちに体の中にあった何か重いものが、スーッと引く感触、快感。不思議としか言いようがない。名画などは縁がなく鑑賞能力、造詣には程遠いのになぜ。ニューヨークのどでかい博物館の中を歩きまわり、もういい加減外に出たいと限界に近づいていたのに’ドガの踊り子’の一作に遭遇した時の思い出である。それから2年後、名画ではないが不思議な体験をした。ベルリンの壁が崩れて間もないころ行ったポツダムツアー。5歳の長男が疲れと退屈で寝てしまって仕方なく抱きかかえていた時のこと。自国の悲哀に感極まったか語り部の目に光るものが見えた刹那、全身に電流を感じ、長男の体重を感じなくなっていた。感動が物理を超えた瞬間。ニューヨークのアートがくれた現象と同じだ。この他にも。言葉のわからないイタリア語のオペラも体にしみ込むような声で圧倒される。古典芸能の狂言は、マイク設備のない能楽堂でよく通った声の演者が最後に落ちのある物語を演じる。能と違い、面やきらびやかな装束による’馬子にも衣装効果’がない中で、体にしみ込んでくる強い不思議な力がある。勤めていた会社の社内報に連載で駐在記を書いたことがあって、読者から”最終回の場面、涙が出ました”と言われた。自分にこんな才能があったのかと、単純な性分の自分は今チャレンジしている能の謡と仕舞でアマチュアでも感動を与えることが果たして可能かどうか。本物のアートを発信できないだろうかと。