闘牛

ネットで申し込んだチケットを当日の朝受け取りに。地図では目と鼻の先にまで来ているようだが見当たらない。受付嬢らしき制服着た女性に英語で尋ねたところ、サンドイッチショップの右隣と言ったのを、地下鉄?と思い込んで、さらにたどり着くのがおくれて笑っちゃった。ともかく、これで長年行きたかった闘牛が今晩、と安ど感を覚えた。ところが観客席で開始を待つ間に、はて、なんでここまでとそもそもの時のこと

記憶をたどってみたが、思い出せない。英国駐在の終盤作ったウイッシュリストだけが

一人歩きしてしまっている。歴史なんてのもこんな風に真実が解明できないものなのかもしれない。今やワンちゃん、お馬さんとの距離が近くなった自分が、こんな残酷なショーをなぜにと。牛さん頑張れと応援していると、駆け出しの闘牛士が角で突っつかれて負傷。それでも、いやそれゆえにマタドールになって、最後のとどめの剣をさした。逃げたままでは二度と晴れ舞台には立てないのでしょう。乗馬教室の馬も動かないままでレッスン終わればオシマイ、だから走らせて終わらせるのに似ている。厳しいのだ。一方で、最後まで戦えそうにない牛は、カウベルをつけた数頭の牛にさそわれてほほえましく退場する。闘牛場の中は長年にわたって培われた作法に人も牛も愚直に向き合っているのだ。なぜ見たかったのかを今頃思考している自分には、単に残酷とコメントする資格などない。そうでしょう。

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(バスルームとベットがガラスの壁で。エレガントで機能的な設計。時差ボケを癒してくれました。)