見届ける

何歳まで生きるかは神のみぞ知るであるが、長生きして隣国情勢と、日米関係と、もう一つ、女性天皇の誕生を見届けたい。できれば全くの第三者としてではなく、多少なりともかかわれるならとの思いがある。核廃絶決議に日本が参加しないことについて、単純に批判できるのか?核被爆の恐ろしさは論を待たないが、地球上に一定の秩序で悲惨さを回避するには、人命を尊重しない狂気の独裁者が脅威ある兵器を持たないように参入障壁を高くする必要がある。同時に威圧力の高い兵器の保有国が人命を尊重しない政権を生まない環境を作ることではないかと。国連の機能強化には限界があるが、それぞれの国が自立心を持つて世界に訴えるしかない。翻って我が国が自立心を持つためには、他国からそう信頼されるためにも、米国一国の核の傘にいることの是非、いずれこの問題を深掘りし向き合わざるを得ないと思う。平和への道としては、直接的な武力による平和維持か、間接的には、独裁者を作らない世論形成をするアプローチがあるかと。国際的なグループ、同盟国、絆のたぐいの盲点は、集団的自衛権の本質的な問題と重なるところがあり、自立心をもった選択が重要である。パワーオブバランスの究極が核であるか、さらにその上のITか、そして最後はメンタルコントロールか。自分が100歳越えしてセンテナリアンになるまでにそれを見届けることができるだろうか?

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(庭のホトトギス。初夏の庭木の剪定で、かなり痛めつけてしまったのに、

こんなにきれいに。痛めたからこそ例年よりもたくましくか。

あやかりたい。)