差別は罪を生む

差別される理由がわからないのは最悪だ。飛行機のクラス料金の差による差別でも多少不愉快なものである。差別はいいことなし。なぜ差別をうけるのかわからないとさらに罪を生む。先日久々に行ったバーで自分たちのテーブルにだけ若い娘が来なかった。たくさんいたからそのうち交代にと遅くまでねばったのに。不愉快な夜になった。ふと、昔父がお呼ばれに行った先で、自分だけ冷めたごはんを注がれたといって、ことあるごとに人に不満をもらしていたのを思い出した。理由がわからないのである。差別した方は意図的やそうでなくても覚えていないがされた方は一生おぼえている。いじめと同じである。全く偶然なのか、自分だけがわからなくて、人からみればなるほどといえるものもありえるが。理不尽なのは耐え難い。いずれにしても差別は罪を生む。差別して優越感を味わうというのも、正当な対価があればそれはビジネスモデルとしてすがすがしい。差別されて嫌な思い、悔しい思い、にくい思いをしたら、その経験を生かして、意図的な差別は人にはしてはいけない。罪を生むと肝に銘じている。負のスパイラルで得るものはない。

(特に差別はしていないのに、庭の花は年によって表情がちがう。全く

咲いてくれない年もある。物言わぬから眺めるしかないのです。)