会話の誘導

話の流れを誘導しようとしているなと感づくときがある。自分の好きな方向に。逆にこのまま進むとあの話題や領域に至ってしまうのではと、なんとか違う方向にもっていこうとしたことは幾度もあった。好きな作家が明智光秀のことをうがって書いている。相手の意図を深く探るシーンが何か所もある。また彼が自慢話ができる方向に誘導しているなと感じたときの自負と不快感。やはりな。自分の話題を喋りまくる人もいるがそこに意図が読める人とそうでない場合もある。若い時はいい意味でも悪い意味でもあえて相手の琴線を目指すことに心地よさを感じたが。今はよほどのことがない限り相手に不快感を味合わせたくはない。臨機応変に話題をそらすように誘導することがマナーとしている。会社時代の同期や長い付き合いの知人たちの間での会話、読み取れたとき、人ってなかなか変わらないなと。懐かしい。同期会や同窓会のだいご味はそんなほっとした時間をすごせること。できるだけ出席している。

(今年の百日紅は花つきがよい。猛暑日が続いたのがよかったのか。

  花の少ない裏庭を彩らせてくれてありがとう。)