午前4時起き

羽田/金浦便は往復とも早朝便しか運航されておらず、行き帰りとも4時起きとなった。起きれなかったら大変と、追加の目覚まし時計やモーニングコールの依頼、すべてやったが、不安と緊張は極度に。起きれてよかったの一語に尽きる。日頃はつい夜更かしして、深夜1時をすぎることがざらである。このままだとアラーム音が聞こえない。そこで、一週間前から11時にはテレビをやめ、12時にはベットに。そして出発前日はそれを一時間繰り上げた。ああ面白かったと無事帰国したものの、家事のサイクルが飛んだ分、部屋風呂トイレの掃除と洗濯、バックログをやっつけて日常への帰還はパワーが必要。以前弁護士から教わったのが、元に戻すには修復の痛みが必要だと。すんなりとは行かないのだ。部屋風呂トイレの汚れは二週間分、洗濯は続けて3回やらないと洗濯籠が空にならない。それでも非日常は大事。たまには上下にぶれないとつまらない。イレギュラーは大事です。気づきや感謝は日常に遭遇しがたい。発明の多くは失敗によるイレギュラーがきっかけというように、あえて非日常のインパクトを求めるのは生きてゆくうえで大事なんだと思う。面倒くさいと思わすに非日常にチャレンジしましょう。

(さて、最初に聞こえたのはどれでしょうか? ブー、スマホでした。)

ソウルで韓定食

コロナ前に予定していた韓国旅行、ついに実現しました。ハングルが読めない不安でこれまでの流儀はすてて、公共機関は使わず、送迎付き昼食付のツアーを選びました。流ちょうに日本語を話すガイドさんに案内されたのが古い家並みが残る地域での韓定食。辛さはさほどでもなかったものの品数の多く、全部おなかに収まるのか心配していると御飯が出てきた。これであとデザートとなるのです。実はそのご飯、黄色いいろした粟が混じってて、なんとも言えないほどおいしかったのです。ガイドさんも同感だったので、隠れた名店だったのでしょう。韓国旅行の目的は韓国時代劇のドラマセットを見たかったのともう一つ、青い瓦屋根の大統領府を見学することにあった。ついでに乗馬もと欲張ったが、日本語も英語も通じないことがわかり断念した。ガイド付きのメリットは現地の人のお話がきけること、もちろんガイド仕事の範囲であり生の声とは言えないまでも大変勉強になった。距離的に近く短い海外旅行ではあったが、得たものは大きかった。海外ドラマでは少し違和感のある場面があるが、そのあたりも少しはわかったような気になった。時代劇衣裳体験も一緒に付き合ってくれて一人旅を忘れさせてくれました。ガイドさんありがとう。

(日持ちがよかった花を、このようなマグカップで残すのも良きかなです。)

マイ インターン

妻に先立たれた高齢者が余生を幸せに過ごすには、再婚や異性のパートナーがマストなのだろうか。テレビのドキュメンタリー番組で、結婚しなかった高齢の男性が、趣味があって、年齢やジェンダーに関係なく信頼関係にある友人が何人かいれば幸せなんだと言っていた。ダンディーな俳優さんが言うには高齢者は密かに片思いをすればよいのだと。それが楽しいのだと。刑事ドラマでは勝手な思い込みで若い女性に告白してかなわず殺人に至ることもある。ふとレンタルで見たマイ・インターンというコメディードラマを思い出した。ジェンダーと年齢を超えても信頼関係は築けるのだと。大上段に構えていた自分が急に楽になった。マイタイプの女性ともなるとどうしても再婚やパートナーとかを意識してしまっていた自分が苦しかった。典型的なサラリーマン人生で現役のころはそんなこと考えもしなかった。退職後、趣味やボランティア、ご近所の付き合いとかで信頼関係のある人が数人いるじゃないか。これで十分幸せに暮らせるのだ。っと、頭では理解できても、心や体には違和感がある。だから、一生懸命あがくしかないのだ、高齢者よ。

(なんやこれ、っていわれそうだ。でも自分としては気に入っている。長持ちする花

 を何本かでお願いしますといって選んでもらった。実にコスパの良い花たちだ。)

 

私の意地

意地で続けていることの一つが、妻の遺影に花を切らさないことでもう5年半にもなる。基本は庭に咲く季節の花1,2輪。簡単ではないが、これがちゃんと暮らしてるとの証と思って続いている。例外がある。命日には白のカラーの花十本。正月には花屋に行ってブーケ調のちっちゃな花束を。こだわりは正月飾りっぽくないやつである。母の日には息子からカーネーションが届く。白のカラーには思い出がある。単身赴任でイーストリバー沿いのアパートに住んでいるころのこと。自称通い妻といいながらやってくる久子と街中を歩くと、白いカラーの花を何本も無造作にガラスの容器にって、おしゃれな店が目に刺さる。これがニューヨークなんだねと、記憶する。棺を飾る花に白のカラーを追加した。毎年だから駅の花屋さんに覚えられてしまった。いつもありがとうって。春から秋までは苦労しないが、正月のお花がしおれる今頃が困る。山茶花はほぼ終わっている。球根の水仙まではもうすこしか。ようやく見つけたクリスマスローズの白い小さなつぼみが頼りだが、正月のお花のカーネーションが頑張ってくれている。思った以上にたのもしい。あと少しだけお願い。

(我が家の山茶花は正月明けともなると、今にも散りそうな花が一、二輪残っている

  だけ。日当たりの良い庭のお宅のキンカンの実が緑の葉より目立って美しい。)

三種の便器

我が家にはトイレが三か所ある。玄関脇、和室手前、二階。もともと4人ぐらしだったが、今や二人。単純に一つ多い。築二十年にもなると、当初からの便器は和室手前のだけで、それも便座は二代目である。二階の便器は後発参入メーカーのに変えた。陶器ではなく合成樹脂で不安はあったが、家の色調である扉の黒、壁の白、床の白木にマッチする蓋の黒が気に入った。便器にはこだわりがある。去年古希の自分は子供のころ、日本の便所は汚い象徴であった。イギリスの田舎のトイレを見て感動した記憶がある。それが今やシャワートイレもあり、世界水準を上回っている。1999年の夏、マンハッタンで単身生活のためのアパートを探していたが、決め手はエレガントな便器だった。ジバンシー調のシャープなライン。少し高かったが刺さってしまった。孫の男の子は小学校高学年になったが、お泊りに来た時は和室手前のがお気に入り。というより、全自動のトイレが怖いのだという。汚いトイレが怖かった昔と違い、最先端が怖い。なんとも皮肉なものです。二階の便器は元は和室手前のとおなじだったが、いつの間にか全自動になり、それが一昨年に壊れて今のにした。家庭用洗剤の泡が勝手に洗ってくれる。自動は壊れやすく、さらに一体型は交換コストが高くなる。進化すると別の意味で選択がむつかしくなる。これって贅沢ななやみなのでしょうかね。

(上:この黒の握りはほぼ40年の付き合い。下:グレープフルーツとイチゴのスプーンはほとんど使った記憶がない。アイス用は探す前に普通ので済ますことが多い。その上のは毎朝ヨーグルトに入れるジャムを取り出すのに使っている。瓶の口がせまいから。)

主夫もエッセンシャルワーカー

生活必須職従事者と呼ばれ、医療や福祉、警察や消防、物流や小売業等、いかなる状況下でも社会生活を支えるに必要は職種なのですが、ここに主夫は入っていない。正月や休日でもごみの始末、風呂の始末、洗濯、寝具の用意など、放っておくと溜まる。自分一人ならそれでもとお思いでしょうが、息子家族がやってきたらそうもいかない。そんなとき、エッセンシャルワーカーだよねと。でもGDPと同じで公にはカウントされない。一度やってみたいウイッシュリストは年末年始に温泉旅館。生前妻の実家で過ごした時もあったが、求めているものとはちょっと違う。温泉とプロのもてなし、2回とはいわない、一度経験してみたいものだ。正月三が日は近所の目もあるので表の掃除はしなかったが、ごみ集めと風呂の始末は毎日。休日特別手当も出ず、逆に出費が増える。実に割の合わないワーカーなり。とはいえ冷静にふと考えをめぐらすと、もし、これらの環境が一変し、何もしなくてよくなったらどうか。一度は物珍しさに思うが、続くとおそらく耐えられなくなるのではと思う。エッセンシャルワーカーのエネルギーの源がわかったような気がする。人間とはそういう生き物なんだと。

(君たちも良くがっばっている。20~40年のお付き合いだ。

 これからも、そう後20年はよろしくね。)

私の黒歴史

サラリーマンご愛読で経済紙の最終頁にある履歴書、勤めていた会社からもお二人が掲載されたが、評判には明暗が。人の自慢話ほど退屈なものはない。その差が出たのだ。小説のサクセスストーリーは読み心地はよいが、企業のトップはその反対で失敗談の方が面白い。以前社報に駐在記を連載したときの評判がよかったのは失敗談も含め自分をさらけ出したからだと同期から聞いた。あの頃は人を羨んだりねたんだりすることはなかった。まさに、人から学ぶのは良いがくらべなくてもいい、だった。古希となった今じっくりと振り返ればいろいろあったけれど、思い出すと少しつらいが、だんだんその味がうすまっている。それが年の功なのかはしれないが、決して忘れていないから教訓となっていることは確かである。正しい意味での初心忘るべからずなのです。一方良かったことも覚えている。いつまでの過去の栄光に浸ってはいけないとは亡くなった友人の口癖だったが、人は思い出だけで生きて行けると言うごとく、忘れてはいけないのだと思う。ともあれ、私史上最大の黒歴史はやはり、あれ。。。

(今度の多肉植物はどのくらいもつだろうか。水はやりすぎがよくない。教訓だが
 ついやってしまう。むつかしい。)