貧乏性

 

いつの頃からしみったれてきたのか?百円ショップの愛用。肉類は賞味期限間近の値引き品しか買わない。冷凍保存するので期限内なら気にしない。熟成するのでうまくなるとこの前テレビで言っていた。もちろんそれは付随的で後付けた理由。冷凍できる生野菜はパセリ、三つ葉とマッシュルーム、シイタケくらい。だから小松菜とキャベツの値上がりは痛い。野鳥の糞に混じって樹木の種が庭の土に落ち小さな目を出す。それを鑑賞用のプラントに育てるか、あるいは百均プラント。何百何千円ものと遜色はない。惣菜ものは人に手間賃を払うことになるので、買わない。美味しそうなとんかつ、アジフライ、と思っても、付加価値は人にはあげないで自分で吸収ことに。GNPには加算されない。これからの年金生活を考えると、良い助走をしてきたものだ。極めつけは頂き物の化粧箱、化粧缶が捨てられないことだ。日本はなぜこんなに包装に金と手間をかけるのか。お陰で捨てられない立派な紙箱や缶が溜まってしまう。救いはたまに再利用のチャンスが訪れた時だ。趣味の集まりの受付で会費を保管する万札サイズ大のもの。ペットの診療手帳と薬入れ、最初の犬の遺影のそばでしっくりと収まっている。服もまずは補修材で修理。たんすに寝ていた衣服が何十年ぶりに着れたりするとうれしい。さすがに変色や擦り切れたら、今まで有難うと言って捨てる。断捨離の本のお手本通りです。自分の貧乏性はお金を使いたくない節約なのか。万物、生物、有機、無機物質、みんな一生を全うさせてやりたい思いの方が勝ときがある。もう一度チャンスを与えてやろうかって、そのものの価値よりも活かすために金をかけてしまっている場合もある。環境問題はどちらに主眼を置いているのか? 昔からある ”ものを大事・大切にしよう” は環境問題と若干ずれることもあるかもしれない。靴底、シャツの袖のほつれ、経年劣化は補修材でメンテし、買わずに延命を尽くす。メンテやDIYで代用出来た時に味わう満足と快感は何物にも代えがたい。もちろん失敗もある。無謀にも自分でやってみたあげくどうにもならず無理とわかってから業者に頼んだ経験は後味として最悪。英国人は昔から家や庭を自分で手入れして資産価値を維持してきた。日本人は新しいものが好きで何でも買い換える。日本にまだDIYということばがなく、業者に頼まないと部品も手に入らなかった頃、ロンドン郊外には

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ガーデンセンターやホームセンターがいくつもあり、業者並みのものが手に入れられた。仕事より家での時間を重んじる伝統がそのような社会インフラを作ってきたのだ。当時駐在とはいえ庭師、下働きを雇える年齢ではなかったので、いろいろと自分でやった。必要にせまられると何でもやるもんだ。

(伸びすぎた枝を切って、水につけておくと根がでてきて、、、だめもとにご褒美かも。)