人の為ならず

誰もが知っている、’情けは人の為ならず’は本来の意味とは違う方に思っている人が多い。’為ならず’と思って能の先生との稽古では原則録音録画はしないことにしている。後で見ればと気をゆるすと、直接習う緊張感が欠ける。これが上達の妨げになると考えているからです。とはいうものの、本気の勝負を狙う時は別。この前一度ICレコーダーを使いました。言っていることと違うやん。そうです。絶対成功せねばと誓ったときは、なりふり構わす例外にしました。それがプロフェッショナル、いや私はアマチュアですが。あの時は他のお弟子さんたちの手前、家元以下先生の兄弟弟子たちの手前、見せつけてやらねばと。一方でテレビ番組は録画機能を愛用している。いつの間にか眠ってしまっている、これが一番多いケースです。ドラマの展開が早いか高度すぎて一度見ただけでは呑み込めない。あるいは俳優さんの大事なセリフが聞き取れない。でもこれも副作用あり。あてにしすぎるとかえって安易になり、五感にボケがくるようで恐ろしい。読書はどうか。元々読み返し自由な本でも、途中でテレビの居眠りのような現象が生じる。あるいは軽く上っ面だけの流し読み、すこし後味が悪い、もったいないと思ったとき読み返すか迷う。不完全燃焼です。最近買った本。知能指数が高くないと理解できそうにない、頻繁に’礼’とか’仁’とかでてきて、途中もやもや感がありながらとりあえず最後まで行きついてからもう一度、部分的にReviewしてみようと思っている。だって悔しい。中の上レベルを保つにはこの本を読破しなけりゃ。この本に負けたくない。ともあれ、すべては按排が大事かと。スマートミックスとでもいおうか。情けは人の為ならずの意味が二つあって、そのまま生き続けているのにどこか似ている。目下のところ本当の意味のが負けているが、これも時代とともにそのペーハー度は左右に動くのでしょうね。このことわざについては両方の解釈が生き続けてほしい。

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(思い切って剪定してよかった。一年ほどでこんなに生まれ変わりました。プラントにあやかりたい気分です。)