白寿とは

もう後一年で100歳かと思っていた母が亡くなった。とはいえ99歳も立派である。白寿のお祝いをするのは意味あることに思える。親子ほど年の離れた末っ子の叔母から初めて聞いたエピソードに驚いた。自分はまったく母のことを知らなかたようである。働き盛りに死に別れた夫の後を受け三人の子供とともに50年一人で生きたのである。自分を生んでくれたその母に恩返しをしたと言えるのか。若気の暴言に母は涙声で何か言ったことを薄っすら覚えている。兄弟の内で自分の顔が最初に認知されなくなった。就職してからあまり会っていないという理由だけではないかもしれない。末っ子でいつもくっつき虫のように傍で甘えていたようなのだが、いつの間にか距離ができていた。大学入試の朝にはまだ暗いうち駅まで見送りに来てくれた。東京に就職が決まったときは頼れる知人を紹介しに上京してくれた。独身時代に親孝行のつもりで、京都円山公園の桜と都踊り、忍野村と山中湖からの富士山を見につれていった。高齢になってからでも赴任地のロンドンやニューヨークまでやってきた。でも疎通の方は埋まらないままだった。なぜだかわからない。近くで長く暮らした兄や姉との関係はどうなのか。もし父親が長生きしていたとしたら全く違った展開になっていただろう。’たられば’はゴルフと同じでどこかむなしいから止める。今また一つ、終活の次のステージに進んだことは確かだ。と、マスク着用でパックのお茶サービスを受けながら機上で感傷に浸る自分。うウーン。

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(妻の実家の蔵に眠っていた陶器のお重。白寿は過ぎたのだろうか。)