ポジティブなこだわり

うがったこだわりが自分のアイデンティティを保っているような、そんな風に思っていた。振り返ればそのこだわりでなにかと損をしてきたのだなあと、今になって客観視している。人とは違うことを狙うのは間違いではないが、相手を不愉快にさせたり、空気読めてなかったり、ただの自己満足だったり。そんな自分がつい最近までいた。今頃になってだけど、仲間内のメール交信でも、人とは違う何か、しかもポジティブにとこだわっている、決まり文句は極力避けるが、もし使う時でもそれに何かをオンするとか。トッピングをきかせるのですね。そんなに難しいことはない。相手や周りのことを少し考えて言葉を探せばできることなのに。なぜかネガティブからのテイクオフがこんなにも遅くなってしまった。もう終活も後半に差し掛かっているというのに。ほんの二三年前まで時間と自分のメンタルに余裕がなかったからな。そんなんだからいろいろなことがネガティブに流れていたのだと思う。終活の時間は限られているが、日常の時間はいやほどある。これが老後の余裕というものか。っと、悟りきってのんびりできなくはないが、だだそれだけでこの世を去るのはいかにももったいない。いやほどある時間と自分のメンタル、生かせられないかな?

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(牛さんが乗っかっているのは通販おせちの蓋です。三年も同じ和風三段重。たまには違うのにしようか?和洋中折衷とか。離れて暮らす長男はそれでも和食が良いと言うのです。でも今年はコロナ禍で帰省できず、食べられず。)