Fクラスは不自由

自由は不自由とはうまく言ったものだ。これは私のFクラス不自由体験です。コロナ禍の前年に国際線Fクラスに三度も乗った。妻が残してくれた驚異的なマイレージが相続期限二年と短いことで実現した。私のような自称プレミアムエコノミーな人間が人もうらやむFクラスにのると不自由な思いをするのです。まず食事の自由。お好きな時にお好きなものをといわれても。シャンパンもワインも傍でボトルを開けてくれるので、いろいろ試してみたいと言い出しにくい。料理のボリュームは外国人サイズだから前菜のパスタで胃が火照る。CAさんも1,2名が専属になるので、マイタイプでない場合は長いフライトになる。リラックスウエアに着替えますかと言われても、どこで?と言いたくなる。座席はひところの日本車のように装備だらけである。人恋しい年金生活者にはひとっけのないキャビンは実に味気ない。ここにきて迄孤独感はよしてほしい。ところで、自由が不自由と感じるのは家でも同じ、生前の妻は何事も相談なしでどんどん決めていた。今となってはそれがなつかしい。決めるには勇気と責任がともなう。自分で決めて妻の責任にできないのだ。パック旅行のようなお任せFクラスができない限りもう乗らない。乗りたくてももう乗れないんでしょ。

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(Fクラスのコンプリメント。旅行には非常食を入れて使ってます。)