ウンチ、オシッコのルーティン

間もなく6年になろうとしているこのルーティンは、二週間ほど前からマックスだけとなった。チョコが先日亡くなったのである。台所の奥にある裏口の手前に設えてあるトイレスペース。ここを使わせようと毎朝、マックスとチョコを呼んでお尻のあたりをタッチして、ウンチ、わき腹をタッチしてオシッコ。かれらはこれをする意味を分かってないとおもうが、その後のおやつの為に素直に従っている。今朝もまたマックスはチョコがまだ来ていないと後ろを振り返る。仏教界では49日まではこのあたりにいて冥土への旅立ちの準備をしているという。マックスにはそれが見えるのかもしれない。彼らを里親として引き取るときに、長男が二頭なんて大変だよと言っていたことを思い出す。確かに面倒なことも多かったが、教えられることも多かった。一つには年の近い幼子の扱い方。一方がひがまないように。確かにこれからは少し楽になるが、寂しさとのバランスはプラスかマイナスか。言えるのは生き物である限り経験しないといけないこと。向き合うしかないのである。先代の犬、ハルが息を引き取る瞬間は見とれなかった。チョコの場合はスポイトでお水を上げて、しばらくするとお腹が痛そうに二度ほどしゃくって、動きが止まった。呼びかけたがどこも反応しなかった。臨終である。ありがとうと言ったと思う。うちに来た頃は中庭で投げたボールに飛びついてキャッチしたりしていたのに。いつのころか台所でタッチしながら、充電ごっこにかわってた。そしてそれも喜ばなくなっていた。自分以上に年なんだと思うとむりもない。チョコロスは、マックスと自分、どちらが強く長びくのか比べようもない。

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(上:去年の9月ころの元気なチョコ 下:弱ったチョコと向き合うマックス、お互い

長生きやな、とでも)