優しいウソ

優しいことは常に良いとは限らない。優しいウソは時として残酷である。貴方は優しすぎる、それが人を傷つけることになるのよ、と言われたことがある。古語では優しいは、趣のある、上品だという意味がある。ちなみに英語のkindは、中学校英語では親切一本だが、口語では優しいという意味があると、ニューヨーク勤務の時に教えられた。言葉は生き物、そしてコミュニケーションのツールだけに意味の理解と使い方が重要で、違えば誤解を招く。ブログを始めてから言葉を慎重に選ぶ癖がついてきた。そして日本語ボランティアをはじめてからは異文化という要素が加わり、相互理解の微妙なズレと常に接することになった。自分自身のなかでも頭で考えることと自分の発する言葉との間にズレがある。こうなるともう、わかわかめ。古典の謡曲の聞かせどころのクセ部分は、まさにわけわかめだらけである。最近、英語ではなく日本語の短縮言葉や略語が横行しているが、わけわかめの古典当時の方が連想力が旺盛だったに違いない。わけわかめと付き合うには加齢によって縮小する脳の細胞を使いまくるしかない。自分がよく使う言葉、あがくということかと。これshareできますか。

(上:レモン、今年は久々に実が見られるかな。下:サルスベリ、剪定が上手くできて 通路の傍に花が咲きますように。)