サラリーマンのなれの果てに

未だ果てていないのですが、退職してあっという間に四年が過ぎた今の自分。ときどきこのまま果ててしまうのか。自分は今、何やってんだろう、なんて自問自答する。周囲の訃報の年齢が近いと諸行無常を感じるものの、後がないから怖くないと前向きなあがきをしている自分。そんな自分を愛して自分を許している。年老いて楽しい、年老いても楽しいとはこういう部分があるからなんだと思う。人はほんの少しのハッピーがあればとりあえずすべてがハッピーと感じるものなのでしょう。自分より若い人が悩み苦しんでいると、この先君にもこのプチハッピーがきっとある、人生 the end までは何があるかわからないものだと言ってやりたい。でも聞かれないと言わない。今の生活やこれまでした経験は、小さい頃若い頃には想像もできなかった。だからこの先もきっとそうなのだと。人との接し方や対応、メールの返事の内容や言葉の使い方、それを考えるために残された脳細胞を駆使する、そんなことが楽しみの一つになっている。趣味というか道楽というか、そこにも私のプチハッピーが潜んでいるように思っているのです。

(今朝も雨で、玄関のひさしのあるところに上がって時間を過ごす。チョコが亡くなってからこの時間が長くなった。許す。)