消化試合ではない

定年退職後は消化試合のようにおっしゃるのはいかがなものか。スポーツ試合のアディショナルタイムやロスタイムはどうでしょうか。我が人生のハイライトはいつなのか。この数年暗く沈みこんだり、深く悩むことがなくなった。若い頃は毎日がとても苦しくてしかたなかった。もちろん楽しくてウキウキすることはたくさんあったが、苦しみ悩むことの方が相対的に重かったように記憶する。これが若い血だ。その血が年を重ねると無くなってくるのでしょう。ダーウィンの法則によって悩むエネルギーがだんだん少なくなっていく人間だけが生き残ってきたのだ。だとすると年を重ねることはとても素晴らしいことのように思っていいのではないか。今決して消化試合をしているのではない。これが本試合なのだと。試合の応援は誰がしてくれるのだろうか。2020東京オリンピックは無観客となったが選手は頑張った。でも声援はあった方がいいに決まっている。これからの試合、誰が応援してくれるのか。はたと考え込むが悩みはしない。それが高齢者の特権か。

(中庭にやってきた蝶。蝶が多く生息する原っぱが少なくなっているらしい。だから

 我が家にも来てくれるのかな。)